2009年05月27日

新作「1Q84」オウム裁判が出発点…村上春樹さん語る

新作「1Q84」オウム裁判が出発点…村上春樹さん語る

【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上)月の裏に残されたような恐怖(読売新聞)

「1Q84」が100万部突破6月9日
春樹新作爆発ヒット 「1Q84」 飢餓感あおり?1週間で96万部
村上春樹さん新作「1Q84」品切れ続出…増刷も追いつかず
村上春樹7年ぶりの大作「1Q84」バカ売れ

村上春樹さん新刊、発売前増刷 文芸作品で異例の25万部に
謎だらけ!村上春樹の最新作「1Q84」とは

【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(中) : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

1. 村上春樹の最新長編小説『1Q84』|新潮社

2. Amazon.co.jp: 1Q84 BOOK 1: 村上春樹: 本

謎だらけ!村上春樹の最新作「1Q84」とは
2009年5月15日 東京ウォーカー

謎だらけの村上春樹の新作「1Q84」のサイト

ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」などの作品で知られ、日本のみならず世界中に多くのファンを持つ作家・村上春樹

その最新作「1Q84いちきゅうはちよん)」(2冊同時刊、各1890円)が5/29(金)に新潮社から発売される。

だが、日本中が待ち望む新作長編小説だというのに、この一風変わったタイトルと発売日以外は一切の情報が漏れてこない。

新潮社のサイトを見ても表題と発売日以外はわからない上に、発売まで2週間を切ったタイミングで登場人物の名前すら不明なのだ。

いくらなんでも謎のベールに包まれ過ぎた現状を打開しようと、新潮社の出版部に話を伺った。するとこの“秘密状態”には、実はちゃんとした理由があるという。

「02年に刊行された『海辺のカフカ』の際に、世界中の読者から村上さんに作品の感想や質問を受け付けるホームページが設けられました。その中で“事前の情報を何も知らずに作品を読みたかった”という声が、読者から少なからず寄せられたんです。そこで今回の作品では実験的に、舞台も登場人物も事前に一切わからないようにしているんです」(新潮社出版部担当者)。

作品の情報が直前でもまったくわからないのは、村上春樹らしい実験の1つだったのだ。

その甲斐あってか、WEB上では「1Q84」というタイトルを手がかりにした議論が盛り上がりを見せている。ある人はジョージ・オーウェルの「1984」について考察し、またある人は魯迅の「阿Q正伝」が絡んだストーリーを予想している。

今年2月にイスラエルで行われた歴史的なスピーチや「ノルウェイの森」の映画化など、最近なにかと村上春樹が話題になることが多い。八重洲ブックセンターなどの都内の大型書店でも、需要を見越して多数入荷する予定だという今回の新作。はたしてどのような内容なのか、その全貌が明らかになる発売日が待ち遠しい。【東京ウォーカー

村上春樹さん新刊、発売前増刷 文芸作品で異例の25万部に

村上春樹の最新作「1Q84」HP

Amazon.co.jp: 1Q84(1): 村上春樹: 本

ROBARTious: 1Q84

村上春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家、米文学翻訳家、エッセイスト。京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。早稲田大学第一文学部演劇科卒、ジャズ喫茶の経営を経て、1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。当時のアメリカ文学から影響を受けた乾いた文体で都会生活を描いて注目を浴び、村上龍とともに時代を代表する作家と目される。

1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起き、以後は国民的支持を集めている。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』など。日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人とする。

2006年、特定の国民性に捉われない世界文学へ貢献した作家に贈られるフランツ・カフカ賞を受賞し、以後ノーベル文学賞の有力候補と見なされている。

デビュー以来翻訳の活動もしており、フィッツジェラルドの諸作品やレイモンド・カーヴァー全集のほか、多くの訳書がある。エッセイ、紀行文も多数。

村上春樹 - Wikipedia1949年、京都府京都市伏見区に出生。父が私立甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。

父は京都の住職の息子、母は船場の商家の娘という生粋の関西人で、「当然のことながら関西弁を使って暮らしてきた」。また両親ともに国語教師であり、本好きの親の影響を受けて大変な読書家に育つ。書店でつけで本を買うことを親から許されていたという。
西宮市立香櫨園小学校、芦屋市立精道中学校を経て、兵庫県立神戸高等学校卒業。両親が日本文学について話すのにうんざりし、欧米翻訳文学に傾倒、親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。

また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読む。学校自体はあまり好きではなく、「どちらかといえばかなり反抗心の強い生徒だった」。

神戸高校では新聞委員会に所属。高校より自己流でペーパーバックを読み始めるが、英語の授業は二の次であったため成績は芳しくなかった。

1年の浪人生活を経て、1968年早稲田大学第一文学部に入学、演劇科へ進む。在学中は坪内博士記念演劇博物館にて映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆などもしていたが、学校へはほとんど行かず、新宿でアルバイトをしながら歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。

1971年、高橋陽子と学生結婚、一時文京区で寝具店を営む夫人の家に間借りする。在学中の1974年、国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店(店名は以前飼っていた猫の名前から、夜はバー)。開店資金は500万円で、半分は夫婦でアルバイトをして貯め、残りは銀行からの融資であった。1975年、同大学卒業(7年間在学)、卒業論文題目は「アメリカ映画における旅の系譜」でニューシネマ『イージー・ライダー』を論じた。指導教授は印南高一。1977年、「ピーター・キャット」を千駄ヶ谷に移す。

デビュー、人気作家となる
1979年、店の近くにあった明治神宮野球場で野球を観戦中に小説を書くことを思い立ち、店の経営のかたわら毎晩キッチンテーブルで作品を書き続けて『群像』に応募。同年6月「風の歌を聴け」で第22回群像新人文学賞を受賞し作家デビュー。カート・ヴォネガット、ブローティガンらのアメリカ文学の影響を受けた文体で現代の都市生活を描いて衆目を集める。同年、「風の歌を聴け」が第81回芥川賞候補、翌年「1973年のピンボール」で第83回同賞候補となる。1982年、専業作家となることを決意し店を人に譲る。同年、初の翻訳集『マイロストシティー フィッツジェラルド作品集』を刊行。また初の本格長編小説『羊をめぐる冒険』を発表し、第4回野間文芸新人賞を受賞。以後小説、翻訳、エッセイと精力的に執筆活動を行なう。

1985年、2つの物語が交互に進行していく長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』発表、第21回谷崎潤一郎賞受賞。1986年、ギリシャ・ローマ旅行開始、1991年まで日本との間を行き来する生活を送る。1987年、「100パーセントの恋愛小説」と銘うった『ノルウェイの森』刊行、上下430万部を売る大ベストセラーとなる。これをきっかけに村上春樹ブームが起き、国民的作家と目されるようになった。1989年には『羊をめぐる冒険』の英訳版がアメリカで出版され、ニューヨークタイムズが書評欄で「transpacific novel(汎太平洋小説)」と位置付けて評価した。

1991年、ニュージャージー州プリンストン大学の客員研究員として招聘され渡米する。前後して湾岸戦争が起こっており、のちに「正直言って、その当時のアメリカの愛国的かつマッチョな雰囲気はあまり心楽しいものではなかった」と述懐している[8]。翌年、在籍期間延長のため客員教授に就任、現代日本文学のセミナーで第三の新人を講義、サブテキストとして江藤淳の『成熟と喪失』を用いる。

「デタッチメント」から「コミットメント」へ
1994年、『ねじまき鳥クロニクル 第1部』『同 第2部』刊行。1992年から『新潮』に連載されたもので、これまでの最長作品であり、ノモンハン事件などの歴史を織り込みながら人間の中に潜む暴力や悪を描いて話題を集めた。1995年、1月に起こった阪神・淡路大震災と、3月に起こった地下鉄サリン事件に衝撃を受ける。同年6月、帰国。8月に『ねじまき鳥クロニクル 第3部』刊行、翌年第47回読売文学賞受賞。1997年、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』刊行。それまではむしろ内向的な作風で社会に無関心な青年を描いてきた村上が、社会問題を真正面から題材にしたことで周囲を驚かせた。1999年、『アンダーグラウンド』の続編で、オウム真理教信者へのインタビューをまとめた『約束された場所で』により第2回桑原武夫学芸賞受賞。2000年、神戸の震災をテーマにした連作集『神の子どもたちはみな踊る』刊行。

この時期、社会的な出来事を題材に取るようになったことについて、村上自身は以下のように「コミットメント」という言葉で言い表している。

「それと、コミットメント(かかわり)ということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメント(かかわりのなさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんですが」[9]

「『ねじまき鳥クロニクル』は、ぼくにとっては第三ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメントがあって、次に物語を語るという段階があって、やがて、それでも何か足りないというのが自分でわかってきたんです。そこの部分で、コミットメントということがかかわってくるんでしょうね。ぼくもまだよく整理していないのですが」[10]

「コミットメント」はこの時期の村上の変化を表すキーワードとして注目され多数の評論家に取り上げられた。また村上は作品の題材とした震災と地下鉄サリン事件の二つの事件について、この2つは彼にとって別々のものではなく、「ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ」(『辺境・近境』)と考えたと語っている。このため、『神の子たちはみな踊る』に収められている作品はすべて震災が起こった1995年の1月と、地下鉄サリン事件が起こった3月との間にあたる2月の出来事を意図的に描いている[11]。


国際的評価の高まりと近年の活動
2002年、初めて少年を主人公にした長編『海辺のカフカ』発表。2004年にはカメラ・アイのような視点が登場する実験的な作品『アフターダーク』を発表。2005年、『海辺のカフカ』の英訳版Kafka on the Shoreが『ニューヨーク・タイムズ』の"The Ten Best Books of 2005"に選ばれ国際的評価の高まりを示した。2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー賞と、国際的な文学賞を続けて受賞。特にカフカ賞は、前年度の受賞者ハロルド・ピンター、前々年度の受賞者エルフリーデ・イェリネクがいずれもその年のノーベル文学賞を受賞していたことから、2006年度ノーベル賞の有力候補として話題となった。同年の世界最大規模のブックメーカーである英ラドブロークスのストックホルム事務所による予想では、34倍のオッズが出され18番人気に位置(受賞は同予想で1位のオルハン・パムク)。2007年の同予想では11倍のオッズ、6番人気とさらに評価を上げている[12]。また近年の年収は海外分が既に国内分を上回っており、事務所の仕事量も3分の2は海外とのものであるという。

2003年以降、有名作品の新訳を手がけている。『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルで親しまれてきたサリンジャーの長編の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を皮切りに、フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』、チャンドラー『ロング・グッドバイ』、カポーティ『ティファニーで朝食を』と、たて続けに刊行している。

2008年6月3日、プリンストン大学は村上を含む5名に名誉学位を授与したことを発表した[14]。村上に授与されたのは文学博士号である。

2009年2月、エルサレム賞を受賞。この受賞については大阪の市民団体などから「イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」として辞退を求める声が上がっていたが[16]、村上は賞を受けエルサレムの授賞式に出席した。記念講演では「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」として、イスラエル軍によるガザ侵攻で1000人もの市民が命を落としたことを批判する一方、人間は誰しも「システム」という名の壁に直面する卵なのだと語った

2009年、長編小説『1Q84』が新潮社から刊行される。


作品の特徴

平易な文章と難解な物語
平易で親しみやすい文章は村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、村上によれば「敷居の低さ」で「心に訴えかける」文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという[21]。また隠喩の巧みさに定評があり、斎藤環は「隠喩能力を、異なった二つのイメージ間のジャンプ力と考えるなら、彼ほど遠くまでジャンプする日本の作家は存在しない」と評している。

一方、文章の平易さに対して作品のストーリーはしばしば難解だとされる。村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している[23]。このような「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という作風は日本国内だけでなく海外にも「春樹チルドレン」と呼ばれる、村上の影響下にある作家たちを生んでいる[24]。なお村上が好んで自身の物語に使用するモチーフに「恋人(妻)の失踪」があり、長編、短編を問わず繰り返し用いられている。

長編小説家
村上の著作は長短編小説のほかエッセイ、翻訳、ノンフィクションなど多岐にわたっており、それらの異なる形態の仕事で意図的にローテーションを組んで執筆している。しかし自身を本来的には長編作家であると規定しており、短編、中編小説を「実験」の場として扱い、そこから得られたものを長編小説に持ち込んでいると語っている。またそれらのバランスをうまく取って仕事をする必要があるため、原則的に依頼を受けての仕事はしないとしている。

「総合小説」への試み
村上は1990年代後半より、しきりに「総合小説を書きたい」ということを口にしている。「総合小説」というとき村上が引き合いに出すのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』であり、村上自身の言葉によれば「総合小説」とは「いろいろな世界観、いろいろなパースペクティブをひとつの中に詰め込んでそれらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくる」[27]ような小説のことを言う。そして「パースペクティブをいくつか分けるためには、人称の変化ということはどうしても必要になってくる」[27]という意識のもとで、村上は「私」と「僕」の物語が交互に語られる『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、一人称の中に手紙や回想が挿入される『ねじまき鳥クロニクル』、すべて三人称で書かれた『神の子どもたちはみな踊る』、一人称と三人称が交互に現れる『海辺のカフカ』、三人称に「私たち」という一人称複数が加わる『アフターダーク』と、作品で人称の変化について様々な試みを行なっている。

村上が影響を受けた作家と作品
村上は自身が特に影響を受けた作家として、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガット、レイモンド・チャンドラーらを挙げている[28]。このほかにフランツ・カフカ、ドストエフスキーらの作家も加わる。また訳書『グレート・ギャッツビー』あとがきにおいて、影響を受けた本としてフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、チャンドラー『ロング・グッドバイ』、そしてドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の3冊を挙げている。

評価

文学賞選考における評価
群像新人文学賞では丸谷才一がアメリカ文学からの影響を指摘しながらもその才能を激賞し、「この新人の登場は一つの事件」であるとした。群像新人賞では5人の選考委員全員から支持を得たが、しかし2度候補になった芥川賞の選考では十分な評価が得られなかった。「風の歌を聴け」が候補になった第81回芥川賞選考では丸谷が積極的に推したが、大江健三郎、瀧井孝作らが「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作」(瀧井)などとして批判し、「1973年のピンボール」が候補になった第83回芥川賞選考では大江と吉行淳之介が支持に回ったものの、井上靖、中村光夫らが拒否した[30]。その後、村上が長編小説に移行したこともあって(芥川賞は中編が対象)結局受賞には至らなかった。村上が世界的な作家へ成長したことにより、この「取りこぼし」は芥川賞に対する批判の的となることもある。


批判的評価
村上には支持者とともに批判者も多数存在する。柄谷行人は1980年代に、村上の作風を保田與重郎などに連なる「ロマンティック・アイロニー」であるとし、そこに描かれる「風景」が人の意思に従属する「人工的なもの」だとして批判[31]、また渡部直己は村上の語りを「黙説法」と呼び、その作品が自己愛の現れに過ぎないものと論じた[32]。蓮實重彦は村上の小説を「結婚詐欺の小説」と断じて一顧だにせず[33]、松浦寿輝は「言葉にはローカルな土地に根ざしたしがらみがあるはずなのに、村上春樹さんの文章には土も血も匂わない。いやらしさと甘美さとがないまぜになったようなしがらみですよね。それがスパッっと切れていて、ちょっと詐欺にあったような気がする。うまいのは確かだが、文学ってそういうものなのか」[34]としてその文学性に疑問を呈している。また小谷野敦は「巷間あたかも春樹作品の主題であるかのように言われている「喪失」だの「孤独」だの、そんなことはどうでもいいのだ。(…)美人ばかり、あるいは主人公の好みの女ばかり出てきて、しかもそれが簡単に主人公と「寝て」くれて、かつ二十代の間に「何人かの女の子と寝た」なぞと言うやつに、どうして感情移入できるか」[35]とし、また「白色テロル」[36]であると批判。斎藤美奈子はそのプロットの展開を「ゲーム」になぞらえて批判した[37]。  

肯定的評価
一方、加藤典洋、川本三郎らは村上を高く評価、それぞれ自著で村上の各作品を詳細に論じており、 福田和也は『作家の値うち』において夏目漱石以降で最も重要な作家と位置づけ、『ねじまき鳥クロニクル』に現役作家の最高得点を与えた[38]。また内田樹は上記のような多数の批判者を「村上春樹に対する集団的憎悪」と呼び、自著『村上春樹にご用心』の中で詳細に批判している。

人物
マスコミ嫌いでありテレビにはまず出演せず、インタビューにも積極的には応じない。このインタビュー嫌いはジャズ喫茶経営時代に「毎晩客の相手で一生分の会話をした。今後は、本当に話したい人にしか話さないと誓った」からだという。一方で1990年代後半より定期的にホームページを立ち上げて読者と積極的に意見交換を行なっている。村上は評論家などによる自身に関する文章はまったく読まないと語っており、むしろ多数の一般読者の意見を聞くほうが、総体として正しい意見を得ることができるとしている 。逆に近年はエッセイの執筆に消極的だが、それは本来小説に向かうべき個人的体験や経験を切り売りすることに抵抗を覚え始めたからだという。

生活
かつては一日3箱を喫うヘヴィースモーカーであったが、『羊をめぐる冒険』の頃から禁煙。身体を鍛えるためにマラソンを続け、最近ではトライアスロンにも参加している。冬はフルマラソン、夏はトライアスロンというのがここ数年の流れである。これは、小説を集中して書き続けるために体力維持に励んでいる、という理由による。したがって、生活は非常に健康的である。毎朝4時か5時には起床し、日が暮れたら仕事はせずに、夜は9時すぎには就寝する。ほぼ毎日10km程度をジョギング、週に何度か水泳、ときにはスカッシュなどもしている。

趣味・嗜好
ジャズ喫茶を経営していた頃からジャズ・レコードの収集をしており、膨大な量のレコードを所有している。音楽はジャズ、クラシック、ロックなどを好んで聴く。ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズをはじめとする古いロックはもちろん、レディオヘッド、オアシス、ベックなどの現代ロックを聴き、最近ではコールドプレイやゴリラズ、スガシカオのファンを公言している。常に何か新しいものに向かう精神が大事なのだという。

猫好きであり、大学生の頃からヨーロッパで生活する1986年まで、数匹の猫を飼っている。また、飼っていた猫をヨーロッパに渡る前にある編集者に預けたが、その時に条件として、書き下ろしの長編小説を渡す、と言う約束をした。この書き下ろしの長編小説が『ノルウェイの森』である(『村上朝日堂』)。「猫」は村上小説の中で重要な役割を果たすことが多い。

東京ヤクルトスワローズの熱心なファンだが、その理由は東京に移り住んだ時にその土地のホームチーム(読売ジャイアンツ、東映フライヤーズ、東京オリオンズ、サンケイアトムズ)を応援するべきだと思い、その中で立地と居心地の良い神宮球場が気に入ったために、サンケイアトムズの応援を始める。その後も、東京ヤクルトスワローズのファンを続け、しばしば球場に足を運んでいる(『村上朝日堂ジャーナル』)。神宮球場でデーゲームの野球観戦中に「小説を書こう」と思い立ち、『風の歌を聴け』を執筆したという逸話がある

関わりのある人物
ここでは村上春樹と特にかかわりのある人物を取り上げる(順不同)。

村上龍
村上春樹と村上龍は、同時期に登場し、いずれも人気作家となったことから「W村上」などとも呼ばれるが、縁戚関係はなく、互いの作風も共通点があるわけではない。しかし村上龍は学生時代、村上春樹の経営する「ピーター・キャット」に通っており、デビュー前からの顔見知りであった[7]。初期には互いのエッセイで頻繁に言及しあっており[45]、1981年には対談集『ウォーク・ドント・ラン』を出版している。以前は猫を譲ったりするような間柄であった。村上龍は村上春樹の姿勢(特にその作品が海外で広く高く評価されている点や海外に自己の作品を積極的に問う点)とその仕事を評価している。

柴田元幸
東大教授であり英米文学翻訳家。彼らの付き合いは翻訳を通じてである。その後、村上が柴田の授業に参加したり(『翻訳夜話』『翻訳教室』)、積極的にロングインタヴューに応じたり(『ナイン・インタビューズ―柴田元幸と9人の作家たち』)と、二人の親交は篤い。『翻訳夜話2』などを通して「村上自身が語る文学観」を柴田は引き出している。

安原顕
2006年3月10日、村上は自身の直筆原稿が本人に無断で、安原顕によって流出させられ、東京・神田神保町の古本屋や、インターネットオークションで販売されていることを『文藝春秋』誌上にて明らかにし、「安原さんがなぜこのようなことをしたのか分からないが、職業モラルに反しているし、盗品売買にあたる」とコメントをしている。
この発表は各方面に大きな波紋を広げ、出版業界にはびこる「自筆原稿の流出」という、半ば公然の闇の事態が明らかとなった。安原が故人であったため「死者に鞭打つような仕打ち」と一部で批判する者もあったが、村上はこのような事態が、彼に関してのみならず、多くの作家に関しても未だに行われていることを指摘しつつ、誰かが声高に叫ばなければ、流出によって傷つけられる、生きている者たちの痛みはなくならないのではないか、と反論している[46]。なおこれら一連の動きから、明確な意思表示がない限り「生原稿は作家の所有物である」との確認が日本文芸家協会によって行われ、「生原稿『流出』等についての要望」としてまとめられ、関係各所へと配布された。

安西水丸
イラストレーターの安西水丸とは村上のキャリア当初から親交があり、エッセイ集『村上朝日堂』シリーズをはじめ、ショートショートの挿絵など、数多くのイラストを担当している。小説以外のテーマでよく対談があり、コミカルな話題で盛り上がっている様子が伝わってくる。
本名の渡辺昇(ワタナベノボル)は短編集『パン屋再襲撃』では「ねじまき鳥と火曜日の女たち」において、猫の名前・妻の兄の名前で「ワタナベノボル」として使われている。そして「パン屋再襲撃」「象の消滅』「ファミリー・アフェア」「双子と沈んだ大陸」でもワタナベノボルが登場する。そして長編『ノルウェイの森』では「ワタナベトオル」と名を変え、『ねじまき鳥クロニクル』でも「ワタヤノボル」となる。
村上自身の言によると、安西は「尊敬まではできないけれど、ある種の敬意にはじゅうぶん値する」人物[47]。

年譜
1949年1月12日 - 京都府京都市伏見区で生まれる。
1961年 - 西宮市立香櫨園小学校卒業。
1964年 - 芦屋市立精道中学校卒業。
1967年 - 兵庫県立神戸高等学校卒業。
1968年 - 早稲田大学第一文学部に入学。
1975年 - 早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。
1979年 - 『風の歌を聴け』で第22回群像新人文学賞を受賞。
1982年 - 『羊をめぐる冒険』で第4回野間文芸新人賞を受賞。
1985年 - 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
1991年 - プリンストン大学に客員研究員として招聘される(92年、客員教授に就任)。
1993年 - タフツ大学に移籍(95年5月まで)。
1996年 - 『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞を受賞。
1999年 - 『約束された場所で―underground 2』で第2回桑原武夫学芸賞を受賞。
2006年 - フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞を受賞。
2007年 - 2006年度朝日賞、第一回早稲田大学坪内逍遥大賞受賞。リエージュ大学より名誉博士号を受ける[6]。
2008年 - プリンストン大学より名誉博士号(文学)を受ける。
2009年 - エルサレム賞を受賞。

作品リスト
長編小説
風の歌を聴け (1979年『群像』6月号)
1973年のピンボール (1980年『群像』3月号)
羊をめぐる冒険 (1982年『群像』8月号)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985年6月 新潮社・純文学書き下ろし特別作品)
ノルウェイの森 (1987年9月 講談社より書き下ろし)
ダンス・ダンス・ダンス (1988年10月 講談社より書き下ろし)
国境の南、太陽の西 (1992年10月 講談社より書き下ろし)
ねじまき鳥クロニクル (『新潮』1992年10月号〜1993年8月号、1994年4月・1995年8月 新潮社より書き下ろし)
スプートニクの恋人 (1999年4月 講談社より書き下ろし)
海辺のカフカ (2002年9月 新潮社より書き下ろし)
アフターダーク (2004年9月 講談社より書き下ろし)
1Q84 (2009年5月 新潮社より書き下ろし)

中編小説
街と、その不確かな壁 (1980年『文學界』9月号)

短編小説
中国行きのスロウ・ボート (1980年『海』4月号)
貧乏な叔母さんの話 (1980年『新潮』12月号)
ニューヨーク炭鉱の悲劇 (1981年『BRUTUS』3月15日号)
カンガルー日和 (連作短編、1981年『トレフル』4月号〜1983年3月号)
五月の海岸線 (1981年4月号)
スパゲティーの年に (1981年5月号)
四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて (1981年7月号)
眠い (1981年8月号)
かいつぶり (1981年9月号)
カンガルー日和 (1981年10月号)
32歳のデイトリッパー (1981年11月号)
タクシーに乗った吸血鬼 (1981年12月号)
彼女の町と、彼女の緬羊 (1982年1月号)
サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM (1982年2月号)
あしか祭り (1982年3月号)
1963/1982年のイパネマ娘 (1982年4月号)
バート・バカラックはお好き? (1982年5月号)『村上春樹全作品1979〜1989 5』収録の際、「窓」に改題
図書館奇譚 (1982年6月号〜11月号)
駄目になった王国 (1982年12月号)
チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 (1983年1月号)
鏡 (1983年2月号)
とんがり焼の盛衰 (1983年3月号)
カンガルー通信 (1981年『新潮』10月号)
あしか (1981年『ビックリハウス』10月号)
パン屋襲撃 (1981年『早稲田文学』10月号)
書斎奇譚 (1982年『ブルータス』6月1日号)
月刊「あしか文芸」 (1982年 糸井重里『ヘンタイよいこ新聞』に書き下ろし)
おだまき酒の夜 (1982年『ショートショートランド』夏号)
午後の最後の芝生 (1982年『宝島』8月号)
土の中の彼女の小さな犬 (1982年『すばる』11月号)
シドニーのグリーン・ストリート (1982年『海』臨時増刊「子どもの宇宙」12月号)
螢 (1983年『中央公論』1月号)
納屋を焼く (1983年『新潮』1月号)
めくらやなぎと眠る女 (1983年『文學界』1月号)
回転木馬のデッド・ヒート (連作短編)
プールサイド (1983年『IN・POCKET』10月号)
雨やどり (1983年『IN・POCKET』12月号)
タクシーに乗った男 (1984年『IN・POCKET』2月号)
今は亡き王女のための (1984年『IN・POCKET』4月号)
野球場 (1984年『IN・POCKET』6月号)
BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 (1984年『IN・POCKET』8月号)
嘔吐1979 (1984年『IN・POCKET』10月号)
ハンティング・ナイフ (1984年『IN・POCKET』12月号)
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
レーダーホーゼン (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
沈黙 (1991年1月 『村上春樹全作品1979〜1989 5』に書き下ろし: 1993年に全国学校図書館協議会により、集団読書テキスト中高生用として単行本化)
踊る小人 (1984年『新潮』1月号)
三つのドイツ幻想 (1984年『ブルータス』4月15日号)
ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文 (1985年『ショートショートランド』5・6月特大号)
パン屋再襲撃 (1985年『マリ・クレール』8月号)
象の消滅 (1985年『文學界』8月号)
ファミリー・アフェア (1985年『LEE』11・12月号)
双子と沈んだ大陸 (1985年『別冊『小説現代』冬号)
ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界 (1986年『月刊カドカワ』1月号)
ねじまき鳥と火曜日の女たち (1986年『新潮』1月号)
雨の日の女#241・#242 (1987年『L'E』1月号)
眠り (1989年『文學界』1月号)
TVピープル(1989年『par AVION』6月号、原題「TVピープルの逆襲」)
飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか (1989年『ユリイカ』6月号)
我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史 (1989年『Switch』10月号)
加納クレタ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
ゾンビ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
トニー滝谷 (1990年『文藝春秋』6月号)
緑色の獣 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
氷男 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
人喰い猫 (1991年7月 『村上春樹全作品1979〜1989 8』に書き下ろし)
青が消える (Losing Blue) (1992年『ル・モンド』)
使いみちのない風景
使いみちのない風景 (1994年12月 写真集『使いみちのない風景』に書き下ろし)
ギリシャの島の達人カフェ (1998年8月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
猫との旅 (1998年月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
ふわふわ (1998年月5月 『NUNO NUNO BOOKS FUWA FUWA』に書き下ろし)
めくらやなぎと、眠る女 (1995年『文學界』11月号)
七番目の男 (1996年『文藝春秋』2月号)
レキシントンの幽霊 (1996年『群像』10月号)
神の子どもたちはみな踊る
連作『地震のあとで』その一 UFOが釧路に降りる (1999年『新潮』8月号)
連作『地震のあとで』その二 アイロンのある風景 (1999年『新潮』9月号)
連作『地震のあとで』その三 神の子どもたちはみな踊る (1999年『新潮』10月号)
連作『地震のあとで』その四 タイランド (1999年『新潮』11月号)
連作『地震のあとで』その五 かえるくん、東京を救う (1999年『新潮』12月号)
蜂蜜パイ (2000年2月 『神の子どもたちはみな踊る』に書き下ろし)
バースデイ・ガール (2002年12月 『バースデイ・ストーリーズ』に書き下ろし)
東京奇譚集 (連作短編、『新潮』2005年3月号〜6月号、2005年9月 新潮社よりに書き下ろし)
はじめての文学 村上春樹(2006年12月 文藝春秋)

村上春樹 - Wikipedia


posted by ぴかまま at 13:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹『1Q84』
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。